詩の楽しみ方③詩へのアレルギー反応とは?
- 2018.11.16
- ポエム

わたしの周りにも詩にたいするイメージが良くないというよりは、どう扱っていいか分からないという人がいました。
私自身も、意識はしてませんでしたが、何か分からないという不安みたいな感覚がありました。
これって、個人的な好き嫌いの主観的感覚だと思いよすいのですが、学校教育に要因があったのです。
国語の授業(国語以外もそうですが)で求められるもの、それは正しさです。
わたしたちは常に正しいか間違っているかを判断する為に答えを覚えるという教育を受けてきました。
なので、答えがないもの。決めつけられないものに対して、分からないという不安や恐怖を感じやすいのです。
なので、純粋に詩や言葉に出会って、味わって、感じるという、
自身の中に生まれたものをそのままアウトプットしたり、表現することが
常にジャッチの対象になっていまうのです。
良い悪いとか点数で評価されることで、子供達の尊厳性や創造性が殺されてしまうのです。
私自身も学校の授業が楽しいものではありませんでした。
常に評価されることを気にして、自分の中にある心の動き、繊細で柔らかい沢山の感情を認識して
それを誰かに共有共感する楽しみや、表現する力を育んで来れなかったんだと思います。
なので、私の場合絵を描くことが言葉の変わりになったんだと思います。
ですが、ここにきて、言葉の力、影響力を実感しています。
詩は私の中で大きな表現ツールになろうとしています。
まさに、今回のインタビューを通して、私の中の詩情の種が芽を出し始めました。
次回は、谷川俊太郎さんの観ている世界感、あれだけ沢山の詩を生み出せる背景にフォーカスしてみたいと思います。
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